塩尻宿は、JR塩尻駅から3キロメートル少しの場所で、車で行くと10分ぐらいです。駐車場はありませんが、塩尻市観光協会のホームページに「塩尻東地区センターの駐車場をご利用ください」と案内されていたので、私はそこに車を停めることにしました。
塩尻東地区センターです。駐車場はかなり広く、利用者のじゃまにならずにすみそうでした。
近くに見える山々には、戦国時代、小笠原氏の山城があったそうです。
地区センターの隣には、アルプスワイン本社がありました。ほかにも、塩尻市内外に工場や営業所がある大きな会社です。
ノウゼンカズラを眺めながら、旧中山道まで歩きました。鮮やかなオレンジ色が夏のイメージにぴったりの花です。
塩尻宿は1614年に開設されたそうです。その後何度も火災があり、大部分が消失してしまいました。
ですが、この小野家はかろうじて残ったとのこと。国の重要文化財に指定されています。
「いてうや」(いちょう屋)と呼ばれていた旅籠(はたご)で、2階には5室の客室があるそうです。室内は当時流行した装飾が施されているそうですが、どんなものなのでしょう。泊まってみたいですね。
塩尻宿を後にして、次は洗馬宿(せばじゅく)に向かいます。洗馬宿はJR洗馬駅付近、JR塩尻駅から中央本線で1駅のところです。
私は車で移動しました。塩尻宿から洗馬宿までは約15分です。左右にぶどう畑の広がる道を快適にドライブしていると、「平出(ひらいで)遺跡」と書かれた看板が目に入ったので、寄り道することにしました。道沿いに広い駐車場もあり、数台の車が停まっていました。
駐車場には、かわいい絵地図もありました。地元の方が描いたのでしょうか。
駐車場から史跡公園まで、50メートルほどぶどう畑の間を歩きました。私の地元の九州では、こんなに広いぶどう畑はまず見ることがありません。何度も立ち止まって写真を撮りながら進みました。
どのぶどうもおいしそう。私には、ワイン用の品種なのか生食用かの見分けもつきませんでしたが、りっぱな実には、きっと農家の方の努力が詰まっているのだろうなと思いました。
平出遺跡は、縄文時代から平安時代にかけての集落遺跡です。約5000年もの長い間、人が住みついていて、出土品も豊富だそうです。近くには「平出の泉」があり、この水が人々の暮らしを支えていたのだと思います。今回は泉には行きませんでしたが、近いうちに見てみたいと思っています。
これは古墳時代の住居を復元したもの。中に入れるようです。
暗そうなので、足を踏み入れるのをちょっとためらってしまいました。
中にはかまどがありました。きっと縄文時代の人々も、家族でその日の出来事を話したりしながら、楽しい食事をとっていたのでしょう。
こちらは、古墳時代の村が復元されたものです。
その近くに、ガイダンス棟がありました。この時は新型コロナウイルスの影響で休止中でしたが、火おこしや勾玉づくりなどの体験教室も開かれているそうです。
ひまわりも元気に咲いていました。
広大な平出遺跡で、新型コロナウイルスを気にせず深呼吸できたところで、洗馬宿への道に戻ります。
洗馬宿には駐車場がないので、さしあたり見学を兼ねてJR洗馬駅に行ってみました。
洗馬駅は無人駅で、駅前には10台ほど停められそうな駐車場がありました。
ホームからは、まっすぐに続く線路と周囲の緑の山々の景色を眺めることができます。
駅から歩いて1、2分下ると、道沿いに洗馬宿本陣跡がありました。
洗馬宿は、中山道と善光寺街道との分去れ(わかされ:道が分かれるところ、分岐点)として栄えたとのこと。洗馬宿も火災によって当時の様子は失われてしまったそうです。
洗馬宿を後にして、市街地方面へ戻り始めたところにその分岐点がありました。現在のような交通機関がない時代には、ここで別れを惜しんだ人たちがいたのだと思います。
当時ほどではないにしても、現在の私たちも新型コロナウイルスの影響で、思うように会いたい人に会えない毎日が続いています。自由に移動できるというのは大事なことだと改めて感じる小旅行になりました。
塩尻市観光ガイド時めぐり 中山道塩尻宿:
https://tokimeguri.jp/guide/nakasendo-shiojiri/
塩尻市観光ガイド時めぐり 中山道洗馬宿:
https://tokimeguri.jp/guide/nakasendo-seba/
塩尻市総合観光案内「街道が交差する交通の要衝」:
https://www.city.shiojiri.lg.jp/kanko/sogokankoannai/shukuba/kotsunoyosho.html
塩尻市 平出遺跡:
https://www.city.shiojiri.lg.jp/smph/tanoshimu/bunkazai/hiraideiseki/hiraideiseki.html
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