7月30日、エギナ島からアテネに戻った。またセントロテルホテルに泊まることにした。ここは人気エリアではないけれど、安いし周りにケバブやカレーの店があって過ごしやすい。
荷物が重くなったので、オリンピアに行く間スーツケースを預かってもらい、ギリシャ最後の夜にここに泊まることに決めた。
7月31日、オリンピアまでのバスのチケットを予約していないので、もし満席でオリンピアに行けなかったら戻ってくると伝えた。その日は残り3部屋ほどだから、行けないと分かったらすぐに電話するようにと言われた。8月1日の部屋は35ユーロだそうだ。
朝7時にタクシーでキフィスウ・バスターミナルへ。
オリンピアまでの直通バスはない。ピルゴスという街で路線バスに乗り換える。ここではピルゴスまでのチケットしか買えないという。それは仕方がないんだけど、帰りのチケットも買えないと言われてしまった。
帰りのチケットが買えないのは不安だ。どうしよう。ここからピルゴスまで4時間半。タクシーを使えるような距離じゃない。でも、やっぱり行きたい。
悩んだけど、ピルゴス行きチケットを買ってしまった!
ああ、帰りのバスはあるんだろうか?
よくよく考えてみたら、翌日は土曜日だ。減便の可能性がありそうな、嫌な予感。
下調べが足りな過ぎる。
それに今回現地で使えるSIMカードを書いそびれて自由にネットに繋げないのが痛い。
旅というものは不便な場所から始めるもんだろ!
なんで近場のエギナ島に先行ったんだ、ボケッ!
と、突っ込みどころ満載、後悔しきり。
9時30分発のバスに乗り、ピルゴスに着いたのは午後2時過ぎだった。オリンピア行きのバスは2時半だという。丁度いい乗り継ぎ時間でホッとした。
まずは明日のアテネ行きのチケットを買わなくては。午後4時半と6時発があった。アテネ到着が遅くなるが、どうせタクシーだから6時発にした。オリンピア行きのチケットも買えた。
バスはゆるゆると山道を登りオリンピアに到着した。ここまで辿り着けるか分からなかったし、ネット接続できないので、久々に歩いて宿探しをした。
街には両側にお土産屋さんやレストランが並ぶ大通りが一本通っている。エギナ島と違ってほとんど人通りがない。店に入って店番のおばあさんに聞いてみたら、まずは暑いから水を飲みなさいと、ペットボトルの水を冷蔵庫から出してくれた。
家族経営の良いホテルがあるからと道を教えてくれた。
しかし、わたしがあまり分かっていないらしいと気付いて、別の店で働くお嬢さんに声をかけてくれた。わたしはお嬢さんにホテルまで連れて行ってもらった。
おばあさんの店のカードをもらっていたので、見てみたらジュエリー屋さんだった。
その日は街をうろうろした。
オリンピア遺跡へも行ってみたが、もうすぐ閉まるというので翌日のお楽しみに。
翌日も素晴らしい青空。夕暮れ時もきっといいと思う。でも青空の広がるこの風景が見たかったんだ!
オリンピア遺跡は今年のオリンピックの聖火の採火式を見て、初めて行ってみたいと思った。コロナで観客がいない式典。わたしは寂しさよりも厳かでいいなと感じた。周りの緑の豊かさも印象深かった。
テレビで見た場所に、わたしいるんだ!
人はまばらだった。ちょっと寂しいけど、ゆっくりできていい。
子供連れの家族がいて、小学生ぐらいの子が一生懸命に解説を読んでいた。全部は理解できないけど、その子の音読のおかげでちょっとだけ遺跡のことがわかった。
オリンピック、今年はないけど、今はどこの国がコロナを収束させるかっていう競争の中にあるような気がする。全然平和的ではない物資の奪い合いとか。
遺跡に限らずオリンピアの街は花がいっぱいだった。
わたしは遺跡の見学の後、昨日のおばあさんの店によった。実は午前中にも日本のお菓子を持ってお礼に立ち寄ったのだけれど、いとこの方が店番だった。午後は昨日のおばあさんが店番だというので、もう一度よって見た。
おばあさんはいた。そしてとても喜んでくれて、また水をいただいてしまった。アクセサリーを買うつもりはなかったけれど、延期になったとはいえオリンピックイヤーだ。折角だから一つ買おう。おばあさんとの思い出の品として銀の五輪のペンダントを買った。
オリンピアは遺跡より人の穏やかさが印象に残った。そして静かでコロナのことなんか忘れてしまった。オリンピアでもお店の人はマスクをしていた。でも、いつもの旅のようにたわいのない話をしていい雰囲気があった。本当はこの静かさこそコロナの影響なんだよね。人気のない土産物屋さんなんてね。苦しんでるんだよね。悲しいね。
さようなら、オリンピア。
午後4時30分、その日のピルゴス行き最終バスに乗り込んだ。
やれやれ、無事ピルゴスに到着。アテネ行きのバスに乗り込むとすっかり安心してしまった。
事件はそんな時に起こるもの。
バスが路上でいきなり止まった。警官が二人乗り込んできた。なんか事件でもあったのかな?
警官「パスポート!」
あれっ、わたし?わたしギリシャ人に見えないもんね。しょうがない。悪いことしてないし大丈夫。
警官「降りろ。」
はいはい降りますとも。
警官「マスクしてないんで罰金だ。150ユーロ払え。」
あっ、そうか!わたしさっき水を飲んでそれっきりマスク外してた。本物のマスク警察だ!
いやはや言い訳のしようがない。罰金はいいんだけど、ユーロの現金そんなにない。クレジットカード使えるかな?日本円で払えるかな?どうしよう。
そんなことで焦っていたら、警官が中国とか始めがどうとか言った。
わたし「日本人です。わたし日本人です!」
腰に巻いた貴重品入れを探りながらもとっさにそう答えた。
バスの運転手「払わないでいいから。」
ええ、そうもいかないよ。みんな待ってるし。マスクしてなかったのは事実だし。
運転手さんは大きい声でなかなかの勢いで抗議してくれて、ありがたいんだけど心配だ。こんな状況でわたしなんで他人の心配してるんだ?
警官「今回は罰金は払わなくていいが、次回こんなことがあったら払ってもらうからな!」
運転手さんのおかげで罰金はのがれた。バスの中に戻って申し訳ないやら、恥ずかしいやら。その後の3時間が、どっちかっていうときつかった。
運転手さんはなんと言ってくれたんだろう?聞きそびれてしまった。
あれは本物の警官ではなかったのか?
ギリシャの警官は罰金をマイポケットに入れちゃうから?
中国人じゃないから救われたのかも
あの中国がなんとかってのが気になる。コロナが中国から始まったことへの恨みなんだろうか?日本人だから罰金逃れたのかもと思うと、なんかなぁ〜。
この旅の間、誰からも東洋人差別を受けていないと思ってきた。弱視のわたしには人がどんな表情かわからない。ギリシャ語が分からないから、何を言われているかも分からない。この件で本当のところは?とちょっと考えてしまった。わたしは東洋人だ。それ以上のことは街ですれ違うだけのギリシャの人にはわからないだろう。
見えないコロナウイルスよりも、見えやすいだれかとか、国とかを敵にしようという気持ちがいつわたしの心に現れてもおかしくない。
セントロテルホテルが35ユーロで広い部屋を提供してくれた。ジャグジー付きのバスタブの中で考えてしまった。もっと旅の思い出に浸れたら良かったのに。
まさか帰国後に旅が続くなんて、もっともっと考えることになるなんて、その時は夢にも思わなかった。
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